不思議な坐禅
こんにちは!
福岡に来ています。
今朝は、禅寺の坐禅会に参加しました。
コロナ以降は、緊急事態宣言などでなかなか坐禅に来れなかったので、およそ3年ぶりです。
美しいお寺で、蝉の声を聞きながら静寂に奥深く入っていく、なんとも心地いい不思議な時間でした。
今日は久しぶりの坐禅体験から、禅寺での坐禅が特別な理由を考えてみましょう。
Contents
禅寺で坐る
お寺での坐禅は…
- 掃除…30分
- 坐禅…1時間
- 茶礼(皆でお茶をいただく)…30分
という感じです。
1時間の坐禅は長く感じられるかもしれませんが、意外とあっという間に時間がすぎるもの。
呼吸に意識を向けていると、時間の感覚がなくなっていきます。
もちろん、雑念が鳴り止まないときもありますが…呼吸が碇(いかり)ような役割で、「今ここ」に意識をもどしてくれるのです。
終わったあとはスッキリして、心のスペースが広がったように感じました。
禅寺の坐禅が特別な理由
禅寺で坐禅をすると、静寂のなかに深くもぐって一体化するような不思議な感覚があります。
自宅で1人で坐るのとは、まったく違う感覚といえるでしょうか。
禅寺の坐禅に特別感がある理由は…
- 非日常な環境
- 坐禅仲間
の存在が大きいように思います。
自宅とはことなり、禅寺には日常的なものが何もなく、ただ空間があるだけ。
心をわずらわせる日常的なものが何もないからこそ、坐禅により、頭の中がスッキリ整理される感覚になるのかもしれません。
さらに、一緒に坐る仲間の存在も大きいでしょう。
その場に同席する人たちと、エネルギーを交換しあい、互いを励まし高めあっているように思うのです。
自宅を禅寺にする
というわけで、禅寺での坐禅は最高なのですが…
自宅にも取り入れられる知恵があるように思います。
たとえば、自宅の中に日常的なものが何もない場所をつくるのです。
部屋のかたすみの小さな空間でもOK。
非日常な場所をもうけて、祈りや瞑想、そしてヨガをする場所にしてはいかがでしょうか。
少なくとも、日常的なものが目に入らないようにすると、精神的な鍛錬がしやすくなるように思います。
わたし自身は、最近モノがふえてきているので、整理しようと心にきめました。
仲間とエネルギー交換して高めあいたい方は、坐禅会などの集まりやクラスに参加するのもいいですね。
マスター・プラブジによるプラブヨガの東京クラスは今週末開催です。