ワンネスと「わかる」の語源
こんにちは!
インドの伝統的な価値観では、「創造主と創造物は同じ」だと考えます。
「ゴールド」と「ゴールドのネックレス」が同じであるように、
すべての創造物は、創造主(神様)と同じ存在なのだとか。
つまり、「ワンネス」ということ。
あなたもわたしも、猫もチューリップも、机も車も…「本質はみな同じ」だと考えます。
しかし、「すべての本質は同じ」と言われても、今一つピンとこなくないでしょうか。
なぜ理解がむずかしいのか考えたら、
「わかる」という言葉の語源が「分かる」=「分ける」だからではないかと感じました。
わたしたちは、何か物事を理解するときに、「分ける」ことではじめて理解できます。
たとえば…
- 「青」は、「赤」ではないし「紫」でもない
- 「行く」は、「来る」でも「遊ぶ」でもない
と「分ける」ことで、物事を理解するのです。
このように区別することで物事を理解する習慣がついているから、
「すべての本質は同じ」「ワンネス!」と言われても…わかりづらいのかもしれません。
ところで、日本語の「わかる」は「分かる(分ける)」が語源だけれど、他の言語ではどうなのでしょうか。
今日は英語とマラヤラム語の「わかる」から、「理解する」ことの意味を考えてみましょう。
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英語の「わかる」
英語で「わかる」は、「understand」ですね。
「under」は「下に」、standは「立つ」で「下に立つ」…
どういう意味で「理解する」になるのか調べてみたら、
英語の古語で「under」は「among, between(~の中に、間に)」という意味があるようです。
(詳しくはこちら)
つまり、「understand」の語源は、物事の「間に立つ」「中に立つ」とも解釈できるようですね。
物事の中に入り、間に立つことで「理解する」…
たしかに、近くで見たりふれたりすると「理解できる」ことも多いはず。
なるほど~と思わされる語源です。
マラヤラム語の「わかる」
南インドのマラヤラム語で「わかる」は「マナッスィラーイー」と言います。
- 「マナッスィル(マナス)」は「心」を
- 「アーイー」は「神様」を
意味します。
つまり、「心の中に神様がいる」と「理解できる」ということです。
逆に、「わからない」は「マナッスィラーイッラ」と言います。
心(マナス)に、アーイー(神様)がイッラ(いない)という意味。
心に神様がいなければ「理解できない」のです。
素敵な意味だと思われないでしょうか?
「認識できる」「知覚できる」のも、わたしたちの内側に神聖なはたらきがあるからだと気づかせてくれます。
脳や感覚器官の精妙なはたらきがなければ、わたしたちは考えることも理解することもできません。
さて、今日は日本語と英語とマラヤラム語の「わかる」の語源から「理解する」意味を考えました。
なんとなく、それぞれの語源と土地の文化がつながる気がして、おもしろく感じます。
そして、日本語の「分別して理解する」のも、英語の「間に立って理解する」のもいいけれど…
マラヤラム語の「神様が心の中にいるから理解できる」と考えると、「ワンネス」が少し身近に感じられるかもしれません。