断食シーズン到来
こんにちは!
世界では春のお祭りとともに、「断食シーズン」まっただ中です。
たとえば…
- ヒンドゥーでは、4月2日~10日まで春のナヴァラトリー
- キリスト教では、今日(4月17日)がキリストの復活を祝うイースター
- イスラム教では、4月1日~5月1日がラマダン
といった感じです。
断食の期間である「ラマダン」にかぎらず、
ナヴァラトリーやイースターなど伝統的なお祭りは、宗教的な断食のタイミングでもあります。
断食といっても、「水も飲まない」断食から「食べる量をへらす」「肉は食べない」など軽めの断食までさまざまです。
そして、実は断食の目的も人それぞれ。
今日は健康以外の断食の目的にふれつつ、その中から「愛の断食」をご紹介します。
「断食」にストイックなイメージがある方もいらっしゃるかもしれませんが…
「誰かのため」や「自分の心を成長させるため」の断食だとしたら、辛さがやわらぐかもしれません。
Contents
断食の目的
日本では「断食」は主に健康や美容目的で考えられますが…
世界では、宗教的な行事と断食が結びついているケースが多いように思います。
どういう目的で「断食」されるかというと…
- 飢えの痛みを経験し、「思いやり」をはぐくむ
- 「食べられる」ありがたみを感じ、すべてが「与えられている」ことに気づく
- 食欲という本能をコントロールすることで、やめられない「悪い習慣」に対処できる強さをはぐくむ
- 食事のための準備や後片づけの時間をなくし、「祈りや学び」など意義あることに時間を使う
…など、さまざまです。
そして、副次的な効果として「内臓が休まり、消化機能が回復する」効果まで見こめるのが断食。
体調をくずしやすい季節の変わり目に、さまざまな宗教で断食の習慣があるのは、体をととのえる知恵でもあるのでしょう。
他者への「愛の断食」
最初にご紹介した断食の目的「飢えの痛みを経験し、思いやりをはぐくむ」を掘りさげると…
わたしたちは、「断食」という形で飢餓感をわずかでも体感しないと、飢えた人の痛みが理解できないともいえます。
痛みが理解できなければ、共感したり思いやったりするのもむずかしいはず。
キリスト教徒の知人から聞いた話では、
先週の月曜から今日のイースターまでを「聖なる1週間」とよび、お祝いするそうです。
そして、この聖なる1週間は「貧しい人の足にひれ伏する」という意味もあるのだとか。
つまり「謙虚さをもつ」という意味ですが、
貧しい人に共感できるよう、謙虚な心をはぐくむために「断食」という手段は有効だと感じます。
他者を思いやり、共感性を高めるという意味で「愛の断食」といえるのではないでしょうか。
夫婦の「愛の断食」
「愛の断食」は特定の誰かのためであってもいいはずです。
以前、4月下旬頃に西インドを旅したときに、
「妻が夫のために祈るお祭り」に遭遇したことがあります。
その地方独特のお祭りなのか、インド全体のお祭りなのか定かではないですが…
夫の健康や繁栄を願い、妻たちが「赤い糸」を持って大きな木のまわりを一晩かけて歩くのだとか。
お祭りには当然「断食」がつきもので…
断食して夫の健康と繁栄を祈ると聞きました。
まさに「愛の断食」であり、「赤い糸」というのが意味深く感じます。
古代インドでは、夫は文字どおり「家の大黒柱」。
夫に先立たれると、妻は経済的にも社会的にもむずかしい状況に陥ったでしょうから、「なんとしても元気でいてほしい」と切実に願ったのかもしれません。
現代ではすべての妻が断食するわけではないし、「パフォーマンス」的な意味合いも強いと聞きました。
しかし、「断食」できるほど愛があると表現して夫婦仲をよりよくできるのであれば、それはそれでいい仕組みだと思います。
以上、今日は「断食」の目的と「愛の断食」をご紹介しました。
健康や美容目的以外で、心の成長や他者の幸せのために「断食」してみるのもいいかもしれません。
何より今は世界的な「断食シーズン」。
きっと胃腸休めにもなって一石二鳥、一石三鳥にはたらいてくれるはずです。