「ヴィシュ」の日に鏡を見る意味
こんにちは!
先日、南インド料理の名店「ケララバワン」さんに行くと、「ヴィシュ特別メニュー」が用意されていました。
「ヴィシュ」とは、南インドのマラヤラムの暦で「新年」を意味する吉兆な日。
今年は4月15日(金)が「ヴィシュ」、つまり新年のはじまりです。
せっかくなので特別メニューを頼んだら、現地のミールス(定食)が忠実に再現されていてびっくりしました。
ケララ州の「地元でとれるお米」が使われているのはもちろんのこと、
- 青バナナの炒め物
- 白インゲン豆のシチュー
- 繊維いっぱいのオクラのカレー
- ココナッツの餡をはさんだチマキ
など、日本ではほぼ食べられないものばかりだったのです。
少なくとも、ケララでとれる丸っこいお米が日本で流通しているのを見たことがありません。
新年をむかえるこの機会に、苦労して入手してくださったのではないかと思います。
なつかしい気持ちがこみあげるとともに、「ヴィシュ、ありがとう!」と感謝をささげるわたし。
ケララ州の本場の味を食べてみたい方は、ぜひ「ケララバワン」さんを訪れてみてください。
21日までの限定メニューです。
さて、今日は「ヴィシュ」にまつわるエピソードをご紹介しつつ、わたしたちが取りいれられることを考えてみましょう。
「ヴィシュ」の朝、見るものとは?
マラヤラムの暦で「元旦」を意味する「ヴィシュ」は豊かさと繁栄の象徴です。
そしてこの日、最初に見たものがその年をあらわすといいます。
だから、縁起のいいものを見るのです。
ヴィシュの日、子どもが朝起きると、目をつぶった状態で親が手をひいて「ヴィシュカニ」とよばれる祭壇の前につれていくのだとか。
祭壇の「ヴィシュカニ」には…
- 神様の像
- 鏡
- 花
- 果物
- お米
- 金貨
- 衣服
- 聖典
などがおそなえされています。
豊かさや知識などを意味する「縁起のいいもの」がならんでいるのです。
「ヴィシュカニ」の「カニ」はマラヤラム語で「最初に見られるもの」を意味します。
つまり「ヴィシュカニ」とは、「ヴィシュの日に最初に見られるもの」という意味。
祭壇の前に手をひかれた子どもは、目をあけて縁起のいいものの数々を見ます。
「ヴィシュ」の朝、最初に鏡を見る意味
祭壇に「鏡」があれば、自分の顔を見ることになります。
鏡を見るのは、身だしなみをととのえるためではありません。
- 自分のなかに宿る「神」を認識する
- 心をみつめ、汚れをとる努力をする
などを意味するそうです。
ヒンドゥーの文化圏では、万物に神が宿ると考えます。
とはいえ…
- Aさんには神Aが、
- Bさんには神Bが、
- Cさんには神Cが宿る
…というように、別々の神様が存在するわけではありません。
Aさん、Bさん、Cさんすべてに宿るのは同じ神性であり、一切の制限のない存在だと考えるのです。
仮に「Aさんにしか宿らない神様」だとしたら、すでに「Aさん限定」という「制限」がありますよね。
さらに、くもった鏡が使い物にならないように、心に汚れがあると内側の神性を認識できません。
心の汚れをとりのぞき、わたしたちの内側に存在する神を認識するために「鏡を最初に見る」のです。
1日のスタートに鏡を見よう
「ヴィシュ」の朝にやることは、元旦限定ではありません。
そして、「鏡を見る」だけならわたしたちも簡単にとりいれられます。
大切なのは、1日のスタートに自分のなかの神性を意識すること。
鏡を見てもそんな気持ちになれない…のだとしたら、
神様の像や霊的なグル(師)の写真、ご先祖様の写真を見るのもいいでしょう。
1日のスタートが吉兆であれば、いい1日になりそうな気がしませんか?
日本でも、鏡は神社などにまつられるくらい「縁起のいいもの」。
鏡を見るときは、自分を評価したり否定したりするのではなく、「内側を見るツール」として使っていただくといいかもしれません。