「グル」と「アーチャーリャ」と「先生」の違い
こんにちは!
昨日は「グル」と生徒の関係についてお話ししました。
「グル」は「先生」という意味ですが、他にも同じような意味をもつ言葉があります。
たとえば、ヨガの師であるプラブジは「ヨガチャリア・マスター・プラブジ」と名乗られています。
「ヨガチャリア」ってどういう意味かご存じでしょうか?
実は「ヨガ」と「アーチャーリャ」がくっついて「ヨガチャリア」。
「アーチャーリャ」はサンスクリット語で「先生」という意味があります。
つまり、「ヨガチャリア」は「ヨガの先生」ということです。
プラブジはご自分のことを「アーチャーリャ」だとおっしゃいます。
「ティーチャー」とは言わないし、「グル」とも認められません。
わたしがプラブヨガの長期コースRYTを受講したときに、
「今日から、あなたはわたしのヨガのグルですね?」とプラブジに話しかけたら、
「ノーノー!わたしはグルではなくアーチャーリャです」と訂正されました。
「グル」と「アーチャーリャ」と「ティーチャー」はどれも「先生」と訳せますが、微妙に意味がことなるからです。
今日はそれらの違いをご紹介しつつ、「グル」について深堀りしていきましょう。
言葉の意味による違い
サンスクリット語の辞書をひくと、「アーチャーリャ」と「グル」には、主に以下のような意味があります。
- 一般的な先生
- スピリチュアルな導師、聖なる師
- 特定の教えを生み出す人
- 敬うべき、習熟した人
- 父、祖父、祖先
- 目上の人や年配の親戚
- 敬うべき、尊敬される人
- 先生、指導者
- 宗教的な師
- 霊性の師
- 神、創造主
- 法則や秩序をつかさどる者
- 神の師
- 新しい教えを生み出す人
- 木星
いかがでしょうか。
「グル」はかなり広い意味があると気づかれるでしょう。
「アーチャーリャ」にもスピリチャルな導き手という意味がありますが、
「グル」はそれ以上に「神」「創造主」など人間をこえた領域の意味もありますね。
そして、「グル」が「新しい教えを生み出す」のにたいし、「アーチャーリャ」は「特定の教えを生み出す」という点で比較できそうです。
「アーチャーリャ」は「グル」が新しく生み出したものの中から、さらに特定の分野で教えを広げていく…そんな解釈もできるかもしれません。
「先生」としての力量や役割の違い
インド人のスワミ(僧侶)からうかがった話では、
- 「ティーチャー」は自分が教わったことを、生徒に正しく伝えられる人
- 「アーチャーリャ」は生徒に応じて教えを変え、生徒自身を変えられる人
- 「グル」は生徒の人生を根本的に変換する人
という区分けができるそうです。
「先生」としての力量の差をあらわしていそうですね。
ヨガの師プラブジのお話では、「グル」は90歳くらいの年配の男性で、片隅にすわってニコニコ微笑んでいるような人なのだとか。
プラブジのように、生徒さんに直接「動き」を指導したりデモンストレーションしたりする役割ではないようです。
そういう意味では、「アーチャーリャ」の方が実践的な指導をする立場で、「グル」は監督的な役割といえるかもしれません。
プラブジがご自身を「ヨガグル」ではなく「ヨガチャリア」とおっしゃるのは、謙遜もあるかもしれませんが、役割の違いを示されているようにも感じます。
「グル」はたくさんいる
ご紹介したように「グル」という言葉には、さまざまな意味がありますが、
一般的によく使われるのは「師匠」だと思います。
そして、師である「グル」は人生にひとりだけ…と考えなくても大丈夫です。
なぜなら「師匠」には…
- 霊的な「師」
- 霊的な分野以外の「師」
という2つの意味があります。
霊性の師はひとりで十分ですが、わたしたちはさまざまな分野の知識を習得するなかで、たくさんの「師匠」にお世話になる必要があるからです。
たとえば、日本でも「師匠」とよぶのが一般的な分野がありますね。
「〇〇道」と名のつくような習い事や伝統芸能の世界などです。
- 書道の師
- 茶道の師
- お琴の師
- 踊りの師
…という感じでしょうか。
「ヨガの師」もここにあてはまるでしょう。
特定の分野に習熟した先生と師弟関係を結んで教えをこう場合に、「師匠」とよぶのは一般的。
いろんな分野のお師匠さんから学びを深めても問題ないわけです。
そして、わたしたちが幼かったころの「師」はまさに「親」や「祖父母」でした。
親や祖父母といった「グル」からさまざま学んで大人になってきたといえます。
ふりかえれば人生とともに、たくさんの「グル」がいることに気づかれるでしょう。
今まさに親として「グル」の役割をはたされている方も多いと思います。
「グルはひとりだけ!」ということはないので…
それぞれの場面で「グル」と関係をつくり、大切につながっていきましょう。