インド的な「ケチな人」の話
こんにちは!
今日はグル(師)に感謝をささげる「グル・プールニマ」です。
インドから「プージャー」とよばれるお祈りの儀式や法話が中継され、楽しく参加しました。
グルとは、広い意味で「先生」のこと。
さまざまな知識の光でわたしたちを導いてくれるグル(先生たち)への感謝はつきません。
一方で、わたしたちは師であるグルにたいして何を返せるのでしょうか。
グルからふりそそぐ知識は膨大かつ偉大で、同等のものは何一つ返せないかもしれません。
もし何か報いれるとすれば、グルから教わった知識の光をまわりの人にシェアすることでしょうか。
今日は、グルから受けとった知識をわかち合う意味を考えてみましょう。
Contents
知識をためこむ「ケチな人」
インドの伝統的な価値観では、学んだ知識を自分のためだけに使う人を「ケチな人」とみなします。
日本では、知識をひけらかさないことが「つつしみ深い」と美徳のようにとらえられますし、
「自分なんてまだまだだから、人に教えられない」と遠慮する人をよくみかけます。
しかし、たとえ「ごく一部」でも知識があるのならば…
その知識をもっていない人にシェアすれば役に立てると考えるのがインド人の観点。
たとえば、サンスクリット語の「読み書きができる」という初歩的な知識でも、
「読み書きできない」人からすると役にたつ知識です。
だから、サンスクリット語を完璧にきわめてから人に教えはじめるのではなく…
少しでも理解でき、それを知りたい人がいるならば、教えるようにすすめられます。
日本的な「わたしなんて…」という謙遜は、インドの伝統的な価値観では
知識を出しおしみする「ケチな人」になりさがるわけです。
知識をシェアするメリット
「誰かに知識をシェアする」ことは「シェアする人」にとってメリットがたくさんあります。
- 自分自身の学びを強化できる
- 他者の役に立てる、喜んでもらえる
- グルへの感謝を形にできる
といったところでしょうか。
まず、人に知識をシェアしようとすると頭が整理されるので、シェアする人自身が学びを深められます。
他者の役に立てることも喜びになるでしょう。
そして、グルから教わった知識をシェアすることが、
その知識を教えてくれた「グル」への感謝の形になりえます。
教えてもらった知識を自分のものだけにすると、グルの教えはそこで途切れてしまいますが、
シェアすることで、グルがいない場所にも知識の光をともせるからです。
というわけで、今日はインド的な「ケチな人」から、知識をシェアする意味を考えました。
グルに感謝しつつ、自分に何ができるか考えたいですね。