2022年の「グル・プールニマ」

グル

こんにちは!
7月13日(水)は「グル・プールニマ」とよばれ、グル(師)に感謝をささげる日です。

もともとは聖仙ヴィヤーサの誕生日として知られます。

ヴィヤーサは、インドの聖典「ヴェーダ」を編纂した他、「バガヴァッドギーター」をふくむインドの叙事詩マハーバーラタの作者でもあります。

つまり、後世にうけつがれる知識の源となったヴィヤーサは「グルの中のグル」といえるでしょう。

「グル・プールニマ」はグルを想い、グルに感謝や祈りをささげる日。
今日は、「グル・プールニマ」について考えてみましょう。

「グル」とは?

グルを尊敬する意味

サンスクリット語の「グル」にはさまざまな意味があるとこちらでご紹介しましたが、
この世界の「真理を教える師」という特別な意味をもつ言葉でもあります。

「グル」の「グ」は「暗闇」を示し、
「ル」は暗闇を「消滅させる者」をあらわす言葉。

暗闇とは「自分にたいする無知」をさします。
自分をこの体、この心だと思いこんでいる「無知」の暗闇を知識による光で完全にとりはらう人のことを「グル」を呼びます。

「グル」は、弟子である「シッシャ」の性格や背景を理解し、その人に合ったやり方で無知をとりのぞく存在。
「シッシャ」は常にグルにたいして尊敬と信頼をもって接する必要があります。

「グル・プールニマ」は、グルへの感謝をリマインドさせてくれるよい機会だといえるでしょう。

「グル」より大切なものはない

グルは大切

「グル・プールニマ」の日にお祈りでよくささげられる「グル・アシュタカム」というシュローカ(詩)があります。

地位や名声・財産・子孫・美しさなど多くの人が「幸せ」だと感じる要素を手に入れても、
「グル」の役割を理解できないならば意味はない…という趣旨が美しいサンスクリット語でつづられているシュローカです。

日本語訳を一部ご紹介しましょう。

私の身体は美しく、私の伴侶も同様です。私の名声や魅力も卓越し、財産は山の頂上に匹敵します。
しかし、グルの足元という蓮の花に、私の心が定まっていなければ、それらが何だというのでしょうか。

伴侶・財産・子ども・孫など全て、家・親戚や人脈、これら全ては成し遂げられました。
しかし、グルの足元という蓮の花に、私の心が定まっていなければ、それらが何だというのでしょうか。

(中略)

施しを与えられる経済力と心の寛大さにより、私の名声はあらゆる方角に鳴り渡り、この世界の全てのものは、グルの恩恵により、私の手中にあります。
しかし、グルの足元という蓮の花に、私の心が定まっていなければ、それらが何だというのでしょうか。

(中略)

快楽にも、規律のある生活にも、馬の列にも、妻との幸福にも、そして財産にも、私の心はありません。
しかし、グルの足元という蓮の花に、私の心が定まっていなければ、それらが何だというのでしょうか。

森の中にも、自分の家にも、仕事にも、この身体にも、私の心はありません。
しかし、かけがえのないグルの足元という蓮の花に、私の心が定まっていなければ、それらが何だというのでしょうか。

「サンスクリットの祈りの詩節集」より引用

このシュローカ(詩)の前半は、富や名声や容姿、人間関係など多くの人が「手に入れたい」と思うものがあげられています。

しかし、だんだんと「分け与えられる」心の寛大さがあらわれ、
やがては、富や名声や快楽には「私の心はない」状態になります。

最後は、自分の身体にたいしても「私の心はない」ところまで成熟していますね。

そのような成熟した心がえられても、「グル」という意味を理解し、「グル」を求めないなら意味はない…とくりかえされているのが興味深いです。

「グルを求める」とは、先生を教祖様のように妄信するということではなく…
「真理に関する知識の光で自分の無知をとりはらう」ことにコミットしている状態を意味します。

もちろん、成熟した心をふくめて、ほしいものを手に入れるのはすばらしいことです。

一方で、人間として生まれてきた本質的な意味や、無知を完全にとりさる「グル」について
「グル・プールニマ」の日に考えてみるのは吉兆なこと。

7月13日(水)は断食などをとりいれて、心をおだやかにすごしましょう。

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