「夏越の大祓」の深い意味とは?

体は神殿

こんにちは!
早いもので、6月も明日でおしまいです。

6月末のイベントといえば、「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」でしょうか。
明日は茅の輪をくぐって、無病息災を願う方も多いかもしれませんね。

先日、「夏越の大祓」に関連しておもしろい話を聞きました。

「大祓」という名前のとおり、神道では「祓う」ことを大切にします。
何を「祓う」のかというと…日常で生まれた「罪」や「穢れ」を祓うのだそうです。

「罪」や「穢れ」を祓うことで厄災がとりのぞかれ、幸せをもたらすのだとか。

ところで、「罪」と「穢れ」とは何を意味するのでしょうか?
今日は、神道の「罪」と「穢れ」から、幸せになる方法を考えましょう。

「罪」と「穢れ」が意味すること

罪と罰

「罪」と「穢れ」という言葉は、なんとなくネガティブで怖い響きがないでしょうか。

「罪」は、償いや罰などが求められる感じがありますし…
「穢れ」といえば、不浄でさけるもの…という不穏なイメージがあります。

しかし、神道での「罪」と「穢れ」は、必ずしも上記のような意味ではないそうです。

  • 罪=包み隠される
  • 穢れ=気枯れ

という意味があるとのこと。
それぞれ、詳しく考えてみましょう。

何が包み隠されているのか?

FAQ

「罪」は「包み隠される」ことだとご紹介しましたが、一体何が包み隠されているのでしょうか?

忙しい生活の中で…

  • 見ないようにしている不都合な事実
  • 感じないようにシャットアウトしている感情
  • 後回しにしている大切なこと

など、自分自身で包み隠しているものがあるかもしれません。

「見ないように」「感じないように」「後回しにしている」ことが誰しもありそうですが、
それらを1つ1つ丁寧に解放していければ、自分自身とのつながりを強められそうです。

あるいは、包み隠されているものは、物事の「真理や道理」といった少し大きな観点での話かもしれません。

そして、「真理」が包み隠されていることが「罪」で、それを「祓う」としたら…
まさにインドの伝統的価値観に通じるものがあるように思います。

インドの伝統的な価値観では、真理が包み隠された状態を「無知」とよびます。
わたしたちの「無知」を破壊し、真理を知るために、さまざまな祈りや祭典が用意されているのです。

わたしは神道についてまったく詳しくありませんが…
思わぬところで、神道とインドの共通点があるかもなあと感じたのでした。

「気枯れ」を祓って、元気になる

体を1つのユニットにもどす

一方で、「穢れ」が「気枯れ」というのも興味深いです。
気は「氣」であり、ヨガ的には生命エネルギー「プラーナ」を指すといえるでしょうか。

氣(プラーナ)が枯渇している状態が「気枯れ」=「穢れ」と考えると…
神道で「気枯れを祓う」のは、やさしさに満ちあふれた世界だと感じます。

氣が枯れている状態を祓って、元気にすごしましょうと提案してくれているわけですから。

忙しい日常で、氣が枯れる=疲れている方も多いでしょう。
「夏越の大祓」や「大晦日」で、半年に1回「気枯れを祓う」習慣はとても素敵だと感じます。

「気枯れ」と生理

生理

なお、女性は生理中に神社でお参りしない方がいいという説がありますが…
生理が「穢れ」であり「不浄」だから神聖な場所に立ち入るべからずという考え方ではなく、

生理中は「気枯れ」た状態だから、無理して参拝しなくてよろしい…と解釈すると、
世界がやさしく変化する
ように感じないでしょうか。

生理中は「100%元気です!」という女性は少ないように思います。
なんとなく体が重かったりだるかったり、何かしら「気枯れ」を実感される方も多いでしょう。

甘いものが食べたくなったり食べすぎたりするのも、枯れた氣(プラーナ)をおぎなうために食べ物から氣を得ようとしている…と考えると、納得がいきます。

というわけで、今日は神道での「罪」と「穢れ」について考えつつ、女性の生理に話を広げました。

罪や穢れを祓うことも、生理でしっかり休むことも…
内なる自分自身と向き合う力を与えてくれる
ように思います。

神事をいい機会として、下半期も健やかにすごしましょう。

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