お金持ちと知識持ち
こんにちは!
ヨガの師であるプラブジとサティシュジは、卓越した知識の持ち主です。
プラブジは個々の体をするどく読みとかれるし、
サティシュジがアドバイスされる食事メニューは圧巻です。
体のことも食事メニューも、アドバイスが1人ひとり違うのがおもしろいポイント。
本で習えるような知識ではないですし、理屈で説明できる世界を超えているようにも感じます。
そんな不思議で膨大な知識の宝庫であるサティシュジが、
「お金持ちより、知識持ちになりなさい」とアドバイスされていたのを思い出しました。
今日は「お金持ち」と「知識持ち」について考えてみましょう。
「お金持ちより、知識持ち」になろう
ヨガの師サティシュジは「お金持ちより知識持ちになりなさい」と言われます。
なぜなら、お金があっても解決できない問題がたくさんあるからです。
たとえば…「健康」。
健康はお金で買えません。
一方、知識があれば健康になれますし、まわりの人も健康にできます。
そして、お金を失うのは一瞬ですが…
知識は誰からも奪われません。
そういう意味で、「お金持ちより知識持ち」の方が価値があるのではないでしょうか。
「お金持ちより、知識持ち」はむずかしい
とはいえ、プラブジやサティシュジのような卓越した「知識」をもつのは、簡単ではありません。
なぜなら、マニュアルにならない知識だからです。
天性の才能も関係するのでしょうか。
時間をかければ理解できる…わけでもなさそうです。
インド的な言いまわしでいうと、
神からの「祝福」が必要でしょうし、いつ習得できるかは「神のみぞ知る」…という領域ではないでしょうか。
そんなわけで、本質的な意味で考えると、
「お金持ち」より「知識持ち」の方が、なるのがむずかしいと思うのです。
「知識持ち」にアクセスできればOK
しかし、「知識持ちになれない…」と嘆く必要はありません。
「知識持ち」を知っていればいいのです。
何か困ったときに、「あの人に相談しよう!」という心当たりがあれば、
「知識持ち」になれなくてもいいのではないでしょうか。
もちろん「知識をもつ」努力も大切ですが…
それぞれの分野の専門家にアクセスできる方が、1人で知識を習得していくよりも有益だと感じます。
そして、「知識持ち」にアクセスできれば、誰か困っている人がいれば紹介できるわけで…
自分だけでなく人の役にも立てるはずです。
「知識持ち」より「判断力」?
さて、すばらしい「知識持ち」がまわりに複数いて、それぞれのアドバイスがことなる…というケースもあるかもしれません。
そんなときに、「このアドバイスをとりいれる」と判断するのは自分自身。
判断力がなければ、情報を精査できず、せっかくの「知識持ち」たちの知識をうまく役立てられません。
というわけで…
- 「知識持ち」になることよりも、
- 「知識持ち」にアクセスできることよりも、
一番最初に必要なのは、自身の「判断力」を磨くことかもしれませんね。
「判断力」を磨く方法
マクロビオティックを世界に広めた桜沢如一は、判断力を養うには「アヒムサ」が大切だと言われたそうです。
「アヒムサ」とはサンスクリット語で「非暴力」を意味する言葉ですが、この場合は語呂合わせをして…
- ア…暑さ
- ヒ…ひもじさ
- ム…難しさ
- サ…寒さ
を経験することで、判断力を高められるという意味なのだとか。
暑さもひもじさも、難しさも寒さも…
できれば避けたいと思われる方が多いのではないでしょうか。
しかし、こうしたある種の「困難」がわたしたちの「判断力」、もっといえば「生命力」を高めてくれる機会になるのかもしれません。
明日は大寒(だいかん)。
寒さを楽しみつつ、余力のある方は断食で「ひもじさ」を味わい、判断力を磨くのもよさそうです。