命の力を信頼する
こんにちは!
家庭菜園の先輩で、すごく上手に野菜を育てるご夫婦がいます。
面倒見がよくて、いろんな人の相談にのったり苗をわけてくださったりして、初心者のわたしには神様のようにありがたい存在。
「どうしたら野菜をうまく育てられるのか?」たずねたら、「野菜は勝手に育つ」とおっしゃっていました。
育っていく様子を見て、必要なことをすればいいだけなのだとか。
たとえば、タイミングを見て支柱を入れたり、追肥したりするなどです。
人間にできることは、植物のもつ「生命力」が発揮できるように、ほんの少しサポートするだけだとおっしゃいます。
思い通りに「コントロールしよう」とするのではなく、命を信頼してまかせている感じが素敵だと感じました。
これは、「人間」にも同じことがいえそうです。
「子育て」で親が子に干渉しすぎてよいことは何もないですし、
体を「健康」にするのも、最終的には人のもつ免疫力や生命力によるものだと思います。
今日は「命を信頼する」意味を考えてみましょう。
ヨガは「命の力」をサポートする
インドで生まれたヨガやアーユルヴェーダは、基本的に「体の悪いところをなおす」という発想がありません。
体が本来もつ力を最大限に生かせるようにサポートするツールなのです。
- 「肩こりがよくなります」
- 「腰痛がなくなります」
- 「病気がなおります」
などの「〇〇がよくなる/なおる」的な言葉はキャッチーで人の心にひびくし、事実でもありますが…
正確には、ヨガやアーユルヴェーダで「体が本来もつ力をサポートすることで、症状が緩和されたりなくなったりする」ということだと思います。
体の力を信頼し、根本の「生命力」を高めることが、表層にあらわれている「肩こり」「腰痛」などの問題の緩和につながるのです。
症状がなくなるのは決して「魔法」でも「神秘の力」でもなく、ヨガやアーユルヴェーダというツールを借りて、自分の力で健康をつくっているといえるでしょう。
「命の力」を信頼しないと…?
もし「体のもつ力」を信頼できないとしたら…
さまざまなサプリメントや薬など「体の外にあるもの」に頼らざるをえなくなるように思います。
なぜなら「体は弱い」と考えるならば、外からおぎなわないと「どんどん悪くなる」一方だからです。
野菜の栽培におきかえると…
「植物は弱い」と考えて、虫や雑草を排除するために農薬を噴射するようなものだと思います。
放っておくと
- 害虫にやられる
- 雑草に光をさえぎられて、光合成できない
と考えるから農薬が必要になってくるのです。
もちろん農薬は「収穫量をあげる」「美しい見た目」など別の目的もあると思いますが、「植物はコントロールしなければならない」という発想が根底にあるのではないでしょうか。
一方、「子育て」におきかえると…
子どものもつ本来の力を信頼できず「弱いもの」と考えるなら、過保護や過干渉になってしまうかもしれません。
つまり、人間であれ植物であれ「命」の力を信頼していないと過剰な対応をしてしまい、結果として「命」の力を弱めてしまうのではないかと思います。
そんなことを言っているわたし自身、自分の体や植物のもつ力を信頼しきれていない部分があると感じます。
どこかで「コントロールしたい」という気持ちが残っているのも事実。
ヨガをつづけるなかで、命の力を本質的に信頼し、余計な手だしをへらしていきたいと思います。