輪廻転生と問題のとりちがえ
こんにちは!
コロナ過の時代。
昨夜の「シヴァラートリー」は、インドのお寺からさまざまな中継があり、お祈りの儀式や講話・バジャンとよばれる歌などを聞いているとあっという間に時間がすぎていきました。
インドでは広く「輪廻転生」が信じられていて、生まれ変わり続けることを「サムサーラ」とよびます。
「サム」はサンスクリット語で「常に」、「サーラ」は「動く」を意味する言葉。
「生まれ変わり続けたい」人もいらっしゃるかもしれませんが…生老病死をともなうのが生き物の一生。
「サムサーラ」から抜け出す方法が書かれているのが、インドの聖典「バガヴァッドギーター」であり、昨夜の講話でも引用されていました。
ふと、この「サムサーラ」は死後の話だけでなく生きている間も同じだと考えたのと
わたし自身、「問題を根本的にとりちがえている」と改めて気づく機会になったので、その話をシェアしたいと思います。
今日は、インドの伝統的な価値観をもとに
- 人間という生き物の特徴
- 人類共通の問題は「自分を受け入れられない」こと
- 最初のステップは問題認識
から、人がより幸せになる方法を考えたいと思います。
「幸せになりたい」すべての人に知っていただきたいインドの伝統的な価値観の話です。
人間という生き物の特徴
地球上のすべての生き物にはそれぞれ特徴があります。
- 足が早い肉食動物
- するどい爪をもつ猛禽類
- 超音波でコミュニケーションする生き物
など個性があるといえるでしょう。
そのなかで人間の特徴は何かというと「自己認識が発達している」ことだと、わたしの師であるメーダーミチカジは指摘されます。
「自己認識が発達している」とはすなわち、「自分が自分をどう見ているか?」が「幸せ」に直結するということです。
ゆえに、わたしたちは仮に生活に困らないだけのお金があっても「お金が足りない」「もっとほしい」と欲するし、
十分美しくても「もっと美しくなりたい」と願います。
他の動物はそんなことはありません。
お腹がいっぱいになればそれ以上求めないし、「もっと美しくなるためにダイエットしよう」などと考えないでしょう。
つまり、人間はどんな恵まれた環境にあろうとも「自分で自分を受け入れられないと幸せではない」という特徴があるといえます。
人類共通の問題は「自分を受け入れられない」こと
つまり、わたしたち人間に共通する問題は「自分を受け入れられない」ことといえるのではないでしょうか。
今の自分を受け入れられないからこそ、わたしたちは常に今とは違う「別の自分」になろうとします。
たとえば…
何かモノを買うのは、「そのモノをもっていない自分」よりも「もっている自分」の方が自分自身を受け入れやすくなるからといえないでしょうか。
洋服や化粧品・車・家などをもつと、「快適さ」や「利便性」「楽しさ」が増えて「自分を受け入れやすくなる」から人はがんばってモノを得ようとすると考えられます。
体型を気にする人も多いですね。
先進国では「太っている自分」よりも、「やせている自分」の方が受け入れやすいから、ダイエットが流行するともいえます。
人間関係や仕事も同様です。
パートナーがほしいと願うのも、仕事環境を変えようとするのも「今とは違う状態」に変えた方が自分自身を受け入れやすくなるからといえないでしょうか。
皆、自分を受け入れたいのです。
一方、
- 「変えたいのに変えられない」
- 「今の自分を見たくない」
くらい自己認識に問題があるときには…
お酒やタバコなどで「意識をあいまい」にして、「受け入れられない自分を一時的に忘れる」のが短期的な解決策となります。
あるいは、運良くほしいモノものが手に入ったら、また別の願いをかなえようとします。
わたしたちは生きているかぎり、今の自分とは「別の自分」になろうとする行動をやめられないのでしょう。
インドの伝統的な価値観ではこの「常に別のものになろうとすること」を「サムサーラ」とよび、一般的には生まれ変わり続ける輪廻転生をさしますが…
わたしたちは、死後だけでなく生きている間もこの「サムサーラ」の中にあるといえます。
この「サムサーラ」から抜け出るには、どうしたらいいのでしょうか?
最初のステップは問題認識
インドの伝統的な価値観によると、そもそもわたしたちは問題をとりちがえているとのこと。
- 車がほしい
- 健康になりたい
- パートナーがほしい
- お金がほしい
- 仕事で成果を上げたい
…といったわたしたちが望む「今とは違う別の自分」は、「自分をもっと受け入れて幸せになりたい」という欲望の手段にすぎないからです。
本当は順番が逆なのです。
「自分を受け入れる」ために、車・健康・パートナー・お金・仕事の成果などがほしいだけ。
それらは手段にすぎないから、たとえ手に入っても完全に満足することはありません。
また別のモノや体験がほしくなるだけです。
そのくりかえしが「サムサーラ」です。
つまり、わたしたちの「自分を受け入れられない」問題を解決するためには、「自分を完全に受け入れる」必要があり、それは、車や健康・パートナーなどの「制限の中にあるもの」では解決できないといえます。
インドの伝統的な価値観は、わたしたちが「制限の中で、制限のないものを探している」ことこそが問題だと指摘するのです。
時間や空間という制限のある世界で、「完全な幸せ」という制限のないものを求めても無理…といえます。
そもそも自分とは本当に時間や空間といった「制限にしばられた存在なのか?」と問いかけるのがインドの伝統的な価値観。
モノや体験を得て「別の自分」になるのもいいけれど、一度立ち止まって問題を特定してみると、また別の世界がみえてくると思います。
今回の「シヴァラートリー」はそんなことを考える機会になりました。
人生は短いもの。問題の本質に目を向けて、ゴールにむかってあゆみを進めていきたいですね。