ヨガで「魂」は救われるのか?
こんにちは!
少し前に、印象的な質問をいただきました。
「ヨガで魂は救われるのか?」というご質問です。
その時は、何人かで話をしていて、じっくりお答えできませんでしたが、
おもしろいテーマなので記事にしたいと思います。
みなさんは、ヨガで「魂が救われた~」というご経験はありますか?
ないとしたら…なぜそういうご経験がないと思われるでしょうか?
今日は、「ヨガで魂は救われるか?」をテーマに考えてみましょう。
ヨガで魂は救われるのか?
「ヨガで魂は救われるのか?」という質問をより具体化すると…
「ヨガで、心や体というレベルを超えて、本質的に癒されるのか?」と言いかえられるように思います。
答えは、おそらく「人による」であり、
「ヨガに求めるものによる」といえるかもしれません。
わたしの経験上…「ヨガに求めるものと、得られるものは近しい」ように感じるからです。
たとえば、「ヨガは体操と同じだ」「体を動かすためにヨガをしている」という人には、
ヨガは体の健康をもたらします。
一方、「ヨガで心を整えたい」「心に効かせたい!」人には、心の安定をもたらすでしょう。
そして、「霊的な修行としてヨガをしている」人には、霊性という領域まで影響をおよぼすかもしれません。
つまり、ヨガにたいして「心や体を超えて、本質的に癒されたい」と求めるならば…
そういうことを教えてくれる、ちょっとスピリチュアルな先生にめぐりあい、本質的な癒しを体験できるはずです。
せっかちは禁物
「ヨガに求めたものが、手に入る」といっても、わたしたちは手に入るまでの時間を指定できません。
すぐに手に入ることもあるし、時間をかけて少しずつ形になる場合もあるでしょう。
- 体の健康
- 心の安定
- 心と体を超えた癒し
いずれをとっても、変化に気づくまでは、ある程度の時間が必要だと思います。
つまり、「変化を信じて待つ」心が必要なのです。
変化がない間は、「らせん階段」を登りはじめたところかもしれません。
しかし、同じところをグルグルまわっているようでいて、ずいぶん上まで登っていたことに気づく日がくるはず。
せっかちは禁物といえるでしょうか。
魂は救われる必要なんて、ない
さて、冒頭でご紹介した「ヨガで魂は救われるか?」というご質問に話をもどすと…
ヨガをつづけるうちに、「魂は救われる必要なんて、ない」ことに気づくかもしれません。
もし、個人に紐づく「魂」というものがあって、輪廻転生をくりかえしているとしても…
傷ついたり劣化したりするのは、わたしたちの「心」と「体」であって、「魂」ではないはずです。
もし「魂」が傷ついて壊れていくものだとしたら、輪廻転生は成り立たないですよね。
わたしたちが「どうにかしたい」「救われたい」と感じているのは、「この心」であり「この体」ではないでしょうか。
- あなたは本質的に救いが必要な存在なのでしょうか?
インドの伝統的な価値観は、わたしたちにシンプルな質問をなげかけます。
ぜひ、ご自身に問いかけてみてください。