プラサードと色眼鏡
こんにちは!
郵便受けをあけたら、ふわ~っといい香りがただよいました。
そこにはインドからの封筒が一通。
先日、インドのお寺にお願いしていたお祈りの儀式「ホーマ」のプラサード(おさがり)が届いたのです。
プラサードとは、お祈りの儀式の「お供えもの」の中から「おさがり」としていただけるもののこと。
今回は「ヴィブーティー」とよばれる「聖灰」が届きました。
かぐわしい香りはこのヴィブーティーによるものです。
ヴィブーティー(聖灰)は、「おでこ」に塗ると心をしずめてくれる効果があります。
ちなみに、「おでこ」に3本白い線を塗っているインド人をみかけたことはないでしょうか。
実は塗られているのはこのヴィブーティー(聖灰)。
シヴァ神を信仰する人たちが、聖灰を3本線にして「おでこ」に塗ります。
さて、インドではお祈りの儀式と「プラサード」はつきもの。
今日はこのプラサード(おさがり)から、「受けとること」について考えてみましょう。
「プラサード」はすべて受けとる
インドのお寺でお祈りの儀式に参加すると、「プラサード(おさがり)」をいただけます。
今回届いたのは「聖灰」ですが、現地で参加すると、お供えもののお花や食べ物もいただけたりします。
インドなので死ぬほど甘い!お供えものもありますし、はっきりいって「好きなもの」と「嫌いなもの」にわかれます。
しかし、
- 「これは好きだから、もっとください」
- 「これは嫌いだから、いりません」
などと言うものではありません。
いただけるものはすべて、ただ感謝していただくのです。
なぜなら、お供え物をいただくのは、わたしたちが人生で何か行ったときの「結果」を受けとることを意味するからです。
人生での行いの結果は、必ずしも自分が望むものだけではないけれど、すべて受け入れるしかありません。
つまり、お供え物をありがたくいただくことは、人生での「受けとりの練習」ともいえるわけです。
「色眼鏡」をかけていると、受けとれない
とはいえ、「好きなもの」はたくさん受けとりたいし、「嫌いなもの」はあまり受けとりたくないと感じるのが自然な感情ではないでしょうか。
そして「好き」「嫌い」だけでなく…
- 「いい」「悪い」
- 「正しい」「まちがい」
などのフィルターをとおして物事を見ていると、せっかくのギフトを受けとれなくなってしまいます。
たとえば、お供え物の「おさがり」であっても…
- 「何?この甘そうなお菓子…体に悪そう~」
- 「うわ…中に石が入ってる!こんなの食べられない」
などなど、自分のフィルターである「色眼鏡」を使って見ると、何も受けとれないでしょう。
「嫌い」なものをガマンするべきだ…という話ではありません。
色眼鏡を使っていることに「気づいて認める」ことで、色眼鏡の効力を少しずつへらしていけるのではないかと思うのです。
苦手なプラサードは受けとった後、人にあげてもいいですし、むしろ喜ばれたりします。
わたしの「嫌い」なものは、他の人にとって「好物」の可能性もありますから。
色眼鏡が少なくなり、人生であらわれる「結果」からたくさん受けとれるようになりたいですね。