インド的な「人生の4つの区分」
こんにちは!
日曜夜の「ポツンと一軒家」というテレビ番組をご存じでしょうか。
文字通り「ポツンとした一軒家」に住む人をたずねる番組です。
集落から離れた山奥で、自給自足に近いくらしをされている方が多いでしょうか。
住んでいる方の年齢層は高めで、60代~80代くらいが多い印象ですが、
みなさん年齢のわりに驚くほどお元気そうなのです。
「ポツンと一軒家」のくらしは、けっして便利とはいえません。
買い物する場所だって遠いし、電気や水などインフラさえ「自分で」なんとかしているケースもあります。
いろんな「不便」を工夫し楽しむことで、年齢を重ねてもイキイキしていられるのかもしれませんね。
ところで、インドでも年を重ねた後は「森でくらす」のがいいとされているのをご存じでしょうか。
目的は「不便を楽しむため」ではないけれど、家族や友達やらといつまでも快適にすごすのではなく、1人になることがすすめられているのです。
今日はインドの「アーシュラマ」とよばれる人生の区分についてご紹介しつつ、生き方を考えてみましょう。
人生の4つの区分「アーシュラマ」とは?
ヒンドゥーの文化では、「アーシュラマ」といって人生を4つの時期に区切ります。
- ブランマチャリア(学生期)
- グラハスタ(家住期)
- ヴァーナプラスタ(林住期)
- サンニャーサ(遊行期)
という4つの区分です。
生まれてから青年時代までは、学業にいそしむ「学生期」。
成人した後は、家庭をもち社会で活躍する「家住期」にはいります。
子どもが大きくなった後は、「林住期」といって、社会から一歩しりぞくタイミング。
仕事を引退するなど身をひき、「遊行期」にむけた準備をする期間です。
最後の「遊行期」では、これまで持っていたものをすべて手ばなし、森などを転々としてくらします。
「これまで持っていたもの」とは…
- 家族
- 家
- 財産
- 友達
- 自分の名前
など、身の回りの最低限のものをのぞく「持ち物すべて」です。
すべて手ばなして何をするかというと、「真理をさとること」に専念します。
お金もありませんから、食べ物さえ人から分けてもらいます。
日本風にいうと「乞食」ということになりますね。
なぜ人生の最後に、そんな過酷なことをする必要があるのか…と思われるでしょうか。
しかしながらヒンドゥーの文化では、人生の目的は「真理を完全に理解すること」だと考えるので、そこに専念できるのは幸せな老後なのです。
やはり「順番」が大切
人生の目的が「真理を理解すること」だとしたら、最初からそこに時間を投じたらいいと思われるかもしれません。
しかし、インド人は順番にうるさいという話をしたように、ここでも「順番」がとても大切なのです。
たとえば「学生」としてさまざま学ぶからこそ、「結婚」をふくむ社会生活を円滑にまわせます。
「結婚生活」や「就職」など社会経験をとおして人として成長するからこそ、やがて社会から身をひき、真実の知識を得ることに専念できる…という順番なのです。
何のベースもない人がいきなり「遊行期やります!」といっても、真理をさとるのはむずかしいといえます。
そして、特に「グラハスタ(家住期)」とよばれる、働き盛りの時期は大切だと考えられています。
家庭や仕事で「自分のやるべきこと」にベストをつくし、結果をきめつけずに受け入れる…という姿勢は、「カルマヨーガ」とよばれる修行そのものだからです。
ちなみに、この人生の区分「アーシュラマ」は、「何歳から何歳がこの区分」というように年齢がカッチリ決まっているわけではありません。
また、結婚しなくても子どもがいなくても、社会で別の形の貢献ができます。
人によりプログラムは違うし、どの年齢で次の区切りに移行するかはその人次第といえるでしょう。
「引き際」が大切
「アーシュラマ」は人生の引き際について考えさせてくれます。
仕事も家庭も、いつまでも
- 「わたしが、やらなきゃ」
- 「わたししか、できない」
…としがみつくのではなく、まわりの人をたよりつつ後進に道をゆずっていく必要があるのです。
そして、社会でバリバリ働いていた人がいきなり「遊行期」に入るとしたら切り替えがむずかしそうですが…
「林住期」という少しずつ身をひく期間がワンクッションおかれているのがインドの文化の現実的なところだと思います。
少しずつ身をひいて、身辺を整理し、心の準備がととのったら…
いよいよ人生の最終ゴールにむけた「遊行期」です。
本当に森の中の「ポツンと一軒家」に住んでいもいいですし、「遊ぶように行をする」をきわめてもいいかもしれません。
そんな老後を考えるとワクワクしないでしょうか。
ヨガで体をととのえつつ、人生を楽しく歩んでいきたいですね。