運と縁と不思議な話
こんにちは!
今日は、ヨガのクラスの後、ヨガ仲間や生徒さんと一緒に神楽坂でランチをしました。
ご飯を食べながら「直感がはたらいた経験」について盛り上がったのですが、
お1人が「呼ばれていないと感じて、足を運べない神社がある」とおっしゃっていたのが印象的です。
もうお一方のお子さんは、幼い頃にその神社をとても怖がっていたのだとか。
神社の名前は伏せさせていただきますが、確かに神社との「ご縁」もありそうですし、時には「目には見えない存在」を見てしまうこともあるかもしれません。
インドでは、「神様から呼ばれる」「呼ばれない」という話をよく聞きます。
今日はそんな「ご縁」や「運」について考えていきましょう。
神様から呼ばれたことがある方も、「なにそれ?」という方も、インド式の「運をよくする方法」を知っていただけると思います。
神様に呼ばれたから、ここに来れた
2016年にインドの「マトゥラ」と「ブリンダーバン」という街をたずねる機会がありました。
両方ともクリシュナ神とゆかりの深い場所です。
クリシュナ神とは、インドの聖典「バガヴァッドギーター」で、主人公アルジュナに真理を説かれた全知全能の神様のこと。
マトゥラで知り合ったインド人はこう言いました。
「あなたは、自分の力でここに来たんじゃない。
クリシュナ神に呼ばれたから、ここに来れたのだ」と。
つまり、神様に呼ばれていなければ来れなかったと言うのです。
そんなことが本当にあるのでしょうか?
神様のような家族と出会う
神様に呼ばれたかはわかりませんが、実際、マトゥラとブリンダ―バンでは不思議なことが多かったです。
ある日、クリシュナ神のお寺に行きたいな~と考えながら川のほとりを歩いていたら、偶然インド人家族と知り合いました。
インドの別の街から巡礼に来たご家族です。
クリシュナ神の熱心な信奉者だったようで、びっくりするくらい親切にしてくれました。
お寺まで案内し、礼拝の仕方を教えてくれ、外国人のわたしにちょっかいをかけようとするインド人から守ってくれたのです。
その後、一緒に朝食を食べて写真をとりました。
写真を送ると約束して連絡先をもらったのですが、ブリンダ―バンを出る頃には紙ごとなくなっていました。
わたしの不注意…ですが、「そんなこと、ある?」と疑いたくなる出来事でした。
なぜなら、チャックのついたかばんのポケットに入れていたので、普通に考えると紛失するはずがない…からです。
彼らが神の化身だと言うつもりはありませんが、参拝できたのは運よくクリシュナ神とご縁がつながったからだろうと感じました。
お寺への道筋はけっこう複雑で、たぶん1人ではたどりつけなかったでしょうから。
運と縁にかかわる「プンニャ」と「パーパ」
インドでは、前述のような不思議な幸運がよくおこります。
逆に、これでもかというくらい、さんざんな目にあうことも多いです。
なぜ予期しない「幸運」「不運」がおこるかというと、インドの伝統的な価値観では「プンニャ」と「パーパ」によるものと考えます。
- 「プンニャ」とは、サンスクリット語で「徳」のこと。
- 「パーパ」は「プンニャ」の対義語で、「不徳」を意味します。
わたしたちの日ごろの行動のなかで、よい行いが「プンニャ」(徳)をつくり、やがて幸福な体験として、目に見える結果になるのです。
一方、悪い行いは「パーパ」(不徳)をつくり、やがて不幸な体験をもたらすと考えます。
「悪い行い」とは、
- 「やるべきことを、やらない」
- 「やるべきでないことを、やる」
のいずれかのことですね。
日ごろから「よい行い」、つまり…
- 「やるべきことを、やる」
- 「やるべきでないことを、やらない」
を選択できると、「プンニャ」がたくさんたまり、いわゆる「運」を高められると考えられます。
逆に不運な経験をしているときは、「パーパ・クシャヤ」といって、「パーパ」(不徳)を消費できていると考えて、これまた前向きにもとらえられます。
「プンニャ」をたくさんためて、「運」をよくして、自分にとって大切な存在とご縁をつないでいきたいですね。