「ギーター・ジャヤンティ」真理が教えられた日
こんにちは!
今日は「ギーター・ジャヤンティ」というお祝いの日。
インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」の教えが説かれた日です。
「バガヴァッド・ギーター」とは、インドの叙事詩「マハーバーラタ」の一部。
一族間の戦争を目前に、戦意を失って立ちすくむ主人公アルジュナが、主クリシュナに教えを乞うところから物語はスタートします。
実はギーターは単なる物語ではありません。
主クリシュナは、アルジュナの質問に答える形で、すべての人の悩みを解決する教えを説かれました。
吉祥なこの日。
わたしは敬愛するメーダー・ミチカジの2年ぶりの対面クラスに参加するべく大阪に向かいました。
午前中は3時間ほどかけて「バガヴァッド・ギーター」全18章を原文のサンスクリット語でチャンティング。
午後からのクラスはギーターのビジョンをお話しくださいました。
何度も聴いてるはずのお話なのに、毎回新鮮で発見があります。
なぜなら「バガヴァッド・ギーター」で説かれている内容は普遍的な教え。
現代社会のわたしたちにとっても役立つお話なのです。
今日は「バガヴァッド・ギーター」の世界を少しご紹介します。
体を動かすヨガの話は出てこないけど、「ニャーナヨーガ 」「カルマヨーガ」など、ヨガつながりの話が主題です。
体を動かすヨガに興味がある人も、インド思想に興味がある人も、ぜひお読みいただけるとうれしいです。
Contents
ギーターは幸せになるための知識
「バガヴァッド・ギーター」の主題は、わたしたちがどのようにすれば完全な幸せを得られるか…です。
想像してみてください…
わたしたちの幸せは長く続かないと思いませんか?
- 「アイスクリームを食べてる時間が幸せ」
- 「商談がうまくいくと幸せ」
- 「好きな人とつきあえたら幸せ」
…など「何かを得た瞬間は幸せ」だけど、その時間は持続しません。
だからこそ、常に新しい幸せを感じる体験を求め続けます。
つまり、人生で何を得ても何をしても完全な幸せ(永続的な幸せ)は手に入らない…ともいえます。
そのことに気づいた人に向けて、主クリシュナが完全な幸せを得るための教えを説かれたのが「バガヴァッド・ギーター」です。
完全な幸せが得られない理由
「バガヴァッド・ギーター」の教えによると、わたしたちが完全に幸せでないのは、無知と混乱によると指摘されています。
わたしたちはもともと限りのない完全な存在なのに、無知と混乱により、自分自身を制限の中にあるちっぽけな存在だと勘違いしているのだとか。
なぜ勘違いが起こるかというと、わたしたちは自分自身を正しく知る手段を持ち合わせていないからです。
たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんは自分について何も理解していません。
自分と他人の区別もつきません。
でも、しばらくすると「経験」をとおして、自分とそれ以外のものが体という境界線で区切られていると理解します。
同様に、幸せな体験が長く続かないことも理解していくでしょう。
つまり、わたしたちが自己を知る手段は「経験」や「推測」に限られるのです。
そして、経験や推測をとおして理解するのは…
自分という存在には制限(限界)があり、幸せを感じた次の瞬間にいつでも不幸になりえるということ。
ギーターは自分に対するこの認識自体が誤りであると言います。
そして、誤りに気づき「自分の本質」に関する知識を理解することで、完全な幸せが手に入ると説きます。
自己を深く理解することが永続的な幸せにつながると考えるのです。
どうでしょうか…あやしいと思われますか?
わたしの文章力や理解力の問題で、伝わりづらい部分があると思いますが・・・
時々こんな話もしていきたいと思います。