「プラダを着た悪魔2」を観て考えた、執着の話

こんにちは!
関東地方も梅雨入りしましたね。
湿気の気になる季節。
身体にも湿気はたまりますから、意図的に身体を動かしていきたいものです。
さて、先日、「プラダを着た悪魔2」を観てきました。
前作の登場人物たちや色鮮やかなファッションに引き込まれつつ、
心にしみるシーンや考えさせられることがたくさん。
壮大なエンターテインメント作品だと感じました。
今日は、「プラダを着た悪魔2」と前作の「プラダを着た悪魔」について、私が感じたことをシェアしましょう。
※ネタバレありです。
まだご覧になっていない方はご注意を!
立場により、作品は180度変わる

前作の「プラダを着た悪魔」から20年あまり。
当時も心を動かされたけれど、今となっては「ナイジェル?エミリー?誰だっけ」状態。
もちろん、ミランダとアンディは覚えていますが、サイドストーリーは完全に忘れていました。
台湾行きの飛行機で、前作の「プラダを着た悪魔」を観て復習するところからスタート。
改めて前作を観て、私はびっくりしました。
同じ作品を観ているはずなのに、観終わった後の感想が、20年前と全然違うのです。
20年前は、悪魔のような上司ミランダの元で奮闘する主人公のアンディに強く共感しました。
私も仕事を頑張ろう!と勇気をもらった作品だったのです。
だけど今回、改めて観た感想は…
「なんだ、この無責任な主人公は…」でした。
転職するなら、好きにしたらいい。
だけど、大事な仕事を中途半端に投げ出すなんて、ありえない。
そう感じました。
20年前にこの作品を観た時の私は20代の若手。
主人公のアンディの視点で映画を観ていたのでしょう。
一方で、40代となった今は、上司のミランダに近い視点で前作を観ているのだと気づかされました。
観る人の立場により、あるいは年齢によって、作品の印象って全然変わるものですね。
「プラダを着た悪魔2」の裏テーマは「執着」

さて、新作の「プラダを着た悪魔2」は、色んな見方ができると思いました。
仕事のこと、人生のこと、様々な切り口があるでしょう。
一方、ヨガ的な視点で考えると、この映画が一貫して扱っている裏テーマは「執着」であるように感じました。
アンディもエミリーも、ミランダに認められたい。
既に二人は40代で、それぞれの仕事で成功しているのに、ミランダの前に出ると若手社員のよう。
ナイジェルも、ミランダに認められたいという想いを持ち続けていたことが描かれています。
今回の映画は、「ミランダに魅せられ、ミランダから認められたい人たちの物語」のようにもうつりました。
一方で、ミランダはミランダで、伝説的な有名人でありながら、一会社員でもあるという立場。
社主の意向次第で、今の地位を失ってしまうかもしれない危うさが描かれています。
ミランダが出世を心待ちにするシーンでは、「ああ、この人も会社員なのだな」と思わされて、急に親近感を覚えました。
つまり、ミランダも、会社での出世の欲望や今の仕事を続けたいという執着を持ち続けているのです。
「自分の中にある執着をどう取り扱うのか?」が、この映画の副旋律かもしれません。
ところで、
- この人に認められたい
- この仕事を続けたい
という欲求なら、まだ「執着」として扱いやすい部類に入るのではないかと思います。
一方で、エミリーのように、ミランダとの確執を何年も心にため込み、ミランダを凌駕することで認めてもらいたい…とまでいくと、この執着がエミリー自身の人生を破壊しているように感じられてなりません。
過度な承認欲求は執着となり、執着を長年ためこみ、腹の中で発酵させると…
その人らしさを失わせてしまうように感じました。
いやいや、執着って恐ろしいですね。
ヨガの教えに従って、手放していきたいものです。
みなさんは、「誰かに認められたい」という想いはありますか?
執着を抱えて、こじらせていませんか?
そんな問いを自分自身にも投げかけながら、映画館を後にしました。
7月のクラススケジュールを更新しました。


