パンチャカルマ【総括】すべてはヨガの修練?!
こんにちは!
関東地方、今日はひやっとします。
暑くなったり寒くなったり…変な気候ですねえ。
さて、長らくアーユルヴェーダの浄化療法「パンチャカルマ」の様子をレポートしてきましたが…
「ヨガはどうなってるの?」と物足りなく思われる方もいらっしゃるかもしれません。
今日はアーユルヴェーダの治療をふりかえりつつ、ヨガの話をしましょう。
ヨガとアーユルヴェーダは黄金の組み合わせ
インドでの滞在中、体を動かすヨガはどうしていたかというと…
呼吸法とともにつづけてきました。
100均のヨガマットは大活躍!
ゴツゴツしたテラスでも、かたい床の上でもヨガの練習ができて、ありがたかったです。
一方、日本にいるときのヨガの練習と比較すると、スローダウンしたことも事実。
アーユルヴェーダの浄化療法「パンチャカルマ」は体力を使うので、
外出のほか、ヨガをふくむ一切の運動が禁止されたりと、思うように動けない日もありました。
それでも、プラブヨガの動きや呼吸法をつづけていたからこそ、
心身がやわらかい状態をキープし、ヨガのポーズを通じて浄化を底上げできたように思います。
やはり、ヨガとアーユルヴェーダの組み合わせは黄金だと感じますね。
パンチャカルマは「ヨガの修練」?!
個人的には…アーユルヴェーダの浄化療法「パンチャカルマ」は「ヨガの修練」そのものだと感じています。
それは「パンチャカルマ」でおこなわれる具体的なトリートメントが「ヨガ的」だという意味ではありません。
「パンチャカルマ」をとおして…
- 待つこと
- ゆだねること
を練習しているのだと、いつも感じるのです。
たとえば、アーユルヴェーダのトリートメントは「待つ」ことの連続。
せっかちなわたしは、「どんどん進めてほしい」「早く結果がほしい」と感じがちですが、
トリートメントは体の変化に合わせてゆっくりゆっくり進んでいきます。
頭で考えることと体のコンディションは別物。
体の準備がととのうまで、タイミングを「待つ」以外に選択肢はないのです。
さらに、
- 「このトリートメントをやってほしい」
- 「これは、いらない」
など「好き嫌い」にもとづく欲望もでてくるでしょうか。
ただのマッサージであれば、好みに応じてリクエストすればいいですが、
アーユルヴェーダの浄化療法はれっきとした「治療」ですから…
患者に何が必要なのかみきわめ、決定するのはドクターの仕事。
患者であるわたしは、トリートメントの内容が何であれ、受け入れるしかないのです。
不思議なことに、トリートメントをつづけて、心身の浄化が進んでいくと…
意に沿わないことを「受け入れるしかない」という姿勢ではなく
与えられるものは「わたしに必要なもの」で、「喜んで受けとりたい」と感じるマインドセットに変わっていきます。
つまり、体を浄化するプロセスでありつつ「ゆだねる」練習をしていたのだと気づかされる瞬間でしょうか。
待ち、ゆだねる「練習」
「待つ」「ゆだねる」といえば、いわばヨガの修練そのもの。
マットの上で体を動かすヨガの練習だけではなく、生活をとおして学ぶヨガの教えといえるでしょう。
日本で生活していると、
- すぐに結果を求める
- 効率を重視する
などのコンセプトが「あたりまえ」になっていますが、インドという文化圏で
古代からつづく浄化療法「パンチャカルマ」にふれると、「待つ」「ゆだねる」大切さが身にしみるのでした。
何事も、花開くには時間が必要。
「せっかち」でいいことなんて、実はあんまりないですよね。
というわけで…わたしは、ただアーユルヴェーダの気持ちのいいトリートメントを堪能していただけではないのです。
インドにいる間もヨガの修練…
といいますか、どこにいてもヨガをしていることに気づかされたインド旅でした。