聖者の話…クリスマスの本質的な意味とは?

こんにちは!
今日はクリスマス・イブ
サンタクロースの役目があるお父さん、お母さんはお疲れさまです!

一方、小さいお子さんやお孫さんがいない中年以上の既婚者にとって、クリスマスはなんでもない日…かもしれません。

そんな大人のみなさんも、せっかくなので「クリスマス」のもつ本質的な意味を考えてみませんか?

何年か前に、インドで聖者とよばれるアンマからお聞きしたクリスマスメッセージを一部ご紹介します。

クリスマスにウキウキする方も、「え?今日クリスマス?」という方も、読んでいただくと、今年1年をふりかえるよい機会になると思います。

「クリスマス」の意味は?

クリスマスは、「愛」「思いやり」「自己犠牲」を思いおこす機会だとアンマはおっしゃいます。
なぜなら、イエス・キリストはこれら3つを体現されているからです。

イエス・キリストの祈り・修行・努力に思いをはせることが、本当のクリスマスのお祝いだと言われます。

つまり、自分の人生をふりかえり、イエス・キリストの教えをもとに、自身が内的にどれくらい成長したかを考える機会こそがクリスマスなのです。

そして、クリスマスは「苦しみからマインドを自由にすること」を祝います。

わたしたちは、ふだん

ほしいものが手に入る ⇒ お祝いする ⇒ あきる ⇒ 次のほしいものを追う

ということをくりかえします。

ほしいものが手に入ってお祝いするのは悪いことではありませんが、喜びはつかの間でしかありません。
なぜなら幸せ外側のモノやコトではなく、わたしたちの内側にあるからです。

外側に意識をむけているかぎり、ずっと何かをもとめて苦しむことになります。
わたしたちの内側に意識をむけて、マインドを自由にすることを祝うのが本当のお祝いなのです。

キリストの「死」と「復活」の意味は?

イエス・キリストの死は、「エゴ」の消滅をあらわします。
そして、キリストの復活は、ふだん忘れている真我(アートマー)の復活を意味するのです。

わたしたちは、内側に意識をむけたくても「エゴ」が強いとむずかしいでしょう。
まずは「わたしが…」「わたしの…」といった利己的な思いをへらしていかなければなりません。

エゴを指摘されるのはつらいですが、成長のために必要だと確信する必要があります。
なぜなら、エゴをとりのぞく時に発生する痛み悲しみは、医者が患部に薬をぬってくれるようなもの。
受け入れなければなりません。

エゴがなくなると、ハートの中の思いやり熱意が花ひらきます。
それが、人生の再誕生、つまりキリストの復活の意味することです。

「クリスマスツリー」の意味は?

「クリスマスツリー」は、わたしたちの人生をあらわします。
ツリーのたくさんの飾りは、愛や祝福といった人生のプレゼントを意味するのです。

そして、ツリーの上にあるこそが人生のゴール
人生のゴールとは、自身の本質を知り、真我をさとることです。

わたしたちはそこにたどりつかなければなりません。

人生は学ぶべき教科書です。
わたしたちは常に人生から学ぶ必要があります。

小さい子どもは「自分は何もわかっていない」と認識しているから、色々まなべるのです。
大人になるとそういう謙虚な姿勢がなくなります。

霊的につねに自分は初心者なのだと自覚することで、学びをえられるでしょう。

人生の時間はかぎられています。
あたかも試験会場にすわっているようなもの。

かぎられた時間のなかで、人生のゴールに近づかなければなりません。
人生の成功失敗は、この試験の時間に何をするかにかかっているのです。

わたしたちは、注意深くゴールに向かって進んでいく必要があります。

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以上、南インドの聖者「アンマ」のお話をご紹介させていただきました。

大人のみなさんは、ワイワイ楽しむクリスマスもいいですが、こういったことを考える「しずかな日」にしてみるのもいいと思います。

ハッピー・メリー・クリスマス!

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