ヨガを続けることで訪れる変化
こんにちは!今日は、ヨガを続けることで訪れる変化について、お話ししたいと思います。
ヨガを続けると、「習慣」が変わる
先日、ヨガを続ける中で、自然とお酒の量が減っていったという話をしました。
ヨガ仲間にこの話をすると、「私もそう!」と共感する人と、「え?全然そんな変化ないよ!」という人に分かれると感じています。
他にも、ヨガを続けると「食べる量が自然と減っていった」という方もいますが、私自身は全く共感できない(笑)ですし、ここでも意見が二分するように感じています。
このように、変化することは人それぞれで、中には離婚されたり、田舎暮らしを始められたリ…と様々ですが、今まで「習慣となっていたことが、自然と変化していった」「実はやめたいと思っていたことが、手放せた」という点で、共通して変化が訪れているように思います。
変化する人と、しない人の違いは何か?
ヨガを続けることで訪れる変化ですが、冒頭でご紹介したような「酒量が減った」「食事量が減った」などの変化について、変化する人としない人の違いは何だろうか?と考えました。
結論としては、
1.やめたい(減らしたい)と思っているか
2.執着の強さ
が大きく影響しているように感じています。
その習慣をやめたい(減らしたい)と思っていることは大前提。
「飲みすぎると、朝練がしんどいから、酒量をちょっと減らしたい」とか、「体が重い感じがするから、食べる量を減らしたい」とか。
そのうえで、ヨガの継続により、お酒の量が自然と減っていった人は、もともと、お酒に対する執着(依存)がそれほど強くなかったのだと思います。
食べる量が減っていった人も同様に、もともと、食べることに対する執着がそれほど強くないタイプの方なのだと思います。
「いや、そんなことはない」「お酒大好きだったけど、減った!」「食べること、人一倍好きです!」という声も聞こえてきそうですが、「好き」と「執着」は似ているようで、違うものだと思います。
食べること、飲むことは「好き」で、かつ、そこに対して、「飲まないと、やってられない」「おやつを食べないなんて、考えられない!」というような、「強い」執着心、依存心があると、その習慣はなくなりづらいということです。
逆に、飲食が「好き」でも、このような執着が「弱い」状態であれば、わりと簡単になくなっていくのだと思います。
一方、お酒を飲むことや食べることがそんなに「好きではない」のに、執着が「強い」というケースも、習慣としてなくなりづらいと思います。
たとえば、「お酒自体は苦手だけど、ワイワイ仲間と過ごす時間が代えがたい」とか。
「会食…気がのらないけど、売り上げにつながるから行かなきゃ…」とか。
執着があるということは、何らかメリットを得ているということ。
それが仮に一時的な快楽で、後から後悔するようなことであっても、確かに一時的な快楽というメリットを得ているわけです。
好き嫌いに関わらず、執着している(=メリットがある)ということは、その習慣を「やめたい」と考えても、別の面では手放す必要性がないので、なくしたり、減らしたりすることは難しいと思います。
なお、執着が少なくて、好みでもないもの(嫌いなもの)は、「既にやっていない」と思います。
ヨガは、執着を減らしてくれる
ヨガを続けると、いやでも自分と向き合うことになり、少しずつ執着を減らしていってくれるものだと、感じています。
もともと執着が弱い習慣から先になくなっていって、強く執着しているもの、依存しているものを手放すには時間がかかる、ということだと思います。
何か「やめたいのに、やめられないこと」があるとしたら、それは、「好きじゃないけど、執着している」ことなのかもしれません。それを行うことで、どんなメリットを得ているのか、手放すことで何が失われるのか、分解して考えてみると、
「あれ?これを続けるのって、むしろ割に合わない…」という現実がみつかるかもしれません。
そして、「これって、もう要らないなあ」「手放す時期だなあ」という意識が明確になると、ヨガを行うことで、より、手放していきやすくなるのではないかと思います。
今回は、「お酒の量や食べる量が減っていく」という話をしましたが、お酒を飲むこと、たくさん食べることが「悪いこと」「やめるべきこと」ということは全くありません。
わかりやすいので、例として取り上げただけであって、「ヨガをしたら、お酒が飲めなくなる、たくさん食べられなくなる」ということはない、ということを最後に強調させていただきたいと思います。
ヨガも、飲食も楽しんでください♪
皆さんの中で、「やめたいと感じているモノ、習慣、価値観」はありますか?
この記事が、それらを分解する機会になれば幸いです。