自己批判は何の役にも立たない
こんにちは!
昨日の午後のクラスは、プラブジの通訳をさせていただきました。
拙い訳で参加された皆さまにはご迷惑をおかけしましたが、あたたかく見守ってくださったことに感謝です。
英語が苦手な私が、なぜ通訳?!
私は英語が全然得意ではないし、今回参加された生徒さんの中には、私より話の内容を理解されている方も複数いらっしゃった印象です。
そんな中で、先月、プラブジに通訳をやらせてほしいと申し出た私は、なんとも厚かましい…!のかもしれません。
そもそもなぜ通訳をやろうかと考えたかというと、プラブジから引き続き、学び続けたいと感じたからです。
今後どうなっていくのかはわかりませんが、プラブヨガではRYT(ティーチャーズトレーニング)の再受講は認められていません。
一度受講したら、再受講は不可。
もう学び終わったでしょ?ということのようですが、「もっと!」というのが正直な気持ち。
なぜなら、プラブジのクラスは、一般の方向けの短時間のクラスであれ、ティーチャーズトレーニングであれ、毎回内容が異なるのです。
集まる生徒さんのコンディションに合わせた内容になるので、その場その場がオリジナルのクラスになります。
これが通訳という立場であれば、引き続き、クラスに参加し、学びを深めることができます。
自分を批判する癖
とはいえ、私には難易度の高い役目。
プラブジの話をできる限り正確に伝えたいと思ったけれど、私の能力ではなかなかそれも難しかった…というのが現状でした。
そして、通訳をさせていただく中で、自分で自分を批判する癖に気づきました。
「あ、今、間違えた!」とか「あの部分が抜けた」とか。自分に対してダメ出しする感じですね。
そして、「あれ?こういう話で合ってる??」という不安から、皆から「訳、ひどいなあ…って思われてない?」という疑心暗鬼まで、心の中がザワザワ揺れている感覚がありました。
自分へのダメ出し。それって謙虚なようで全然そうじゃない。
ベクトルが自分に向いていて、生徒さんに向いていないです。
生徒さんの理解をサポートする役目なのに、自分に意識を向けていても、意味ない!と気づきました。
自分で自分を批判したり不安をあおっても、本当に何も得るものがありません。
訳の精度は上がらないし、心のザワザワが広がって、むしろマイナスになるかもしれません。
苦手なことに取り組むって面白い!
そもそも、私の英語がひどいことを、プラブジはよくご存じのはず。
それでも通訳で参加していいよと言ってもらったのだから、私にできるベストを尽くして、プラブジや英語が得意な生徒さん達から助けてもらう、という姿勢でいようと開き直ると、胸の中のザワザワが少し穏やかになりました。
今回の通訳に限らず、自分にとって苦手なヨガのポーズ、できることなら避けたいと思っている面倒な手続き、などなど、日常的に誰にでも苦手分野があると思います。
でも、一歩踏み出して挑戦してみると、「この部分はけっこうできる!」という手ごたえを感じるかもしれないし、できなかった部分は「こうやって改善していこう」と思えます。
私の場合は、英語をもっと勉強しようと感じました。そして、英語に限らず、日常の中に自分にとっての「挑戦」を入れていきたいと思います。
みなさんにとっての挑戦は何ですか?!